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和歌山~岡山 自転車ツーリング その3 [日本外周自転車の旅]

和歌山から岡山まで、自転車で走った。そのつづき。

3日め 三ノ宮駅~播州赤穂駅 約102km

2015年12月28日日曜日、午前7時40分。
私はJR三ノ宮駅に降り立った。
一昨日は、朝寝坊してしまって、
距離を伸ばすことができなかった。
今日は、がんばって100kmほど走ろうと思う。

駅前の自転車駐輪場から、自転車を出す。
事情あって2泊させてしまったが、料金は200円であった。
国道28号線を西に走り、長田(ながた)駅のちかくで南へ。
さらに右折して、国道2号線にはいる。
しばらく走ると、須磨海浜公園(すまかいひんこうえん)に出た。
ここは、なかなかきれいなところで、
神戸市民の憩いの場となっている。

さらに西へ。国道2号線は、だんだん車線が減って
ついには2車線になってしまった。
明石海峡大橋が見えたところで、海岸に出てみた。
なんどみても巨大で、よく、こんなものをつくったな、
と思う。橋の真下には、海上プロムナードがある。
朝早くから、中国人観光客がいっぱい来ていた。

akashi.jpg
明石海峡大橋にて


さらに西へすすむ。
明石駅をすぎると、川崎重工業の明石工場がある。
カワサキの二輪事業の本拠地である。
二輪博物館に行ってみるか、と思って、
工場の正門で受付の人に申し出た。すると、
「もう、だいぶ前に、神戸のカワサキワールドに
移転しましたわ。」
といわれた。そうであったか。うっかりしていた。

kawasaki.jpg
川崎重工明石工場の正門前にて


西明石駅のところで左折し、国道250号線に入る。
すぐそばを山陽新幹線が走っている。
700系の窓が紺とオレンジに塗り分けられた車両
(700系E編成=ひかりレールスター用)が、
ものすごい速度で走り去って行った。
このあたりの線路は直線が長く、最高速度である
時速300kmを出すらしい。私が自転車で1日かけて
走る距離を、新幹線はわずか20分くらいで走り抜ける。


播磨(はりま)町、加古川市、高砂市、姫路市と走る。
山陽網干(さんようあぼし)という駅があった。
私にとっては、まだ来たことがない終着駅なので、
ちょっと寄ってみた。
山陽電鉄は、神戸の西代(にしだい)から
姫路までが本線であるが、飾磨(しかま)から
山陽網干までの支線がある。ほぼ15分おきに、
行ったりきたりするという、単純なダイヤである。
改札口からのぞいてみると、キハ47のような顔をした
山陽電鉄3000系電車が発車していった。

aboshi.jpg
山陽網干駅

国道250号線にもどる。揖保川(いぼがわ)をわたった
ところで、ブラックサンダーを1個、食べた。
それにしても、りんくうタウンから姫路まで、
埋立地と大工場が、ずっとならんでいたな。
堺泉北(さかいせんぼく)工業地域、阪神工業地帯、
播磨臨海工業地域と走ってきたからである。
単調な景色で、退屈きわまりないコースであった。
網干をすぎると、ようやく工場が途切れ、
きれいな海岸線を走る。
やっと、旅情を感じる。
道の駅みつ(御津)で休憩した。

mitsu.jpg
道の駅みつから見る家島諸島


遠くに家島(いえしま)諸島がみえる。
双眼鏡で見てみると、岬に白い小さな灯台が見えた。
そういえば、灯台守という歌があった。
たしか、小学5年生のときにならった記憶があるのだが。
小さな島の灯台を、真冬の嵐の日でも航海の安全のため、
ひたすら守る人がいるのだ、という内容の歌だった。
私はその歌が好きだった。

灯台守
 こおれる月かげ 空にさえて
 真冬の荒波 よする小島(おじま)
 思えよ灯台 まもる人の
 とうときやさしき 愛の心



灯台守(白鳥英美子)
https://youtu.be/0Otv8k_CdK4

※権利関係は不明です


私たちの音楽の先生は、「まもる人の」の部分を
本来はG7→D7→G7であるところを、
Dmaj7→D7→Gsus7→G7というコード進行にして、
ピアノによる分散和音で伴奏した。長調でありながら
哀愁を感じさせる、美しいメロディであった。

私がこの歌を好きだった、もうひとつの理由は、
誰もいない小島で、たったひとりで灯台を守る。
そんないい仕事が、この世の中にはあるんだ、と
思ったからである。

前にも書いたように、私は人間に対する関心が
すくなく、大勢のなかでがまんして過ごすよりも、
ひとりでいることを好む。私は子どもの頃から、
そういう傾向があった。灯台守は、そんな自分に
ぴったりの職業だと思った。

離島の灯台にひとりで赴任し、昼は絵でも描いて、
夜は灯台を守りながら、天体観測でもして暮らす。
なんて、すばらしい暮らしなんだろう。

私は、灯台守になるには、どうしたらいいか、
について調べた。どうやら海上保安庁にはいればいい、
ということがわかった。けれども、私は灯台守になりたい
ということは、誰にも言わなかった。
小学校の卒業文集には、将来の夢として、
「新聞記者の海外特派員」と書いておいた。
そうすれば、先生と親がよろこぶ、と思ったからである。

結局、私は大学を卒業して、ふつうのサラリーマンになった。
が、ひそかに憧れの職業として、灯台守になる夢を
持ち続けていた。
一方で、灯台はどんどん自動化され、2006年12月に、
長崎県男女群島(だんじょぐんとう)の女島灯台(めしまとうだい)
を最後に、無人化が完了。日本国内の灯台守は消滅した。
新聞でそのニュースを読んだとき、私は人生の夢が、
またひとつ、消えた、と思った。


道の駅みつから先は、曲がりくねった道が続き、
相生(あいおい)市にはいった。IHI相生工場では、
大型フェリーらしき新造船をつくっているのがみえた。
相生と赤穂(あこう)のあいだには、低い峠があった。
播州赤穂(ばんしゅうあこう)駅には、午後4時30分ごろ着いた。
日の短い時期なので、すでに暗くなりかけていた。

akou.jpg
播州赤穂駅にて


駅前の石井自転車預かり所に自転車を預け、
17:06発の新快速に乗った。
大阪駅まで爆睡。あやうく乗り過ごすところであった。
大阪環状線、南海高野線と乗り換え、
富田林市の家内の実家に帰った。


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